末次由紀作品

講談社から、今日一枚のFAXがありました。
内容は


末次由紀氏の既刊本の回収、絶版のお知らせ


でした。
以前から2ちゃんで盗作疑惑があり、構図のトレースや比較をしたまとめサイトも幾つかありました。
んで、まぁ、かなりぴったりと当てはまっていたりしてたんですよね。
講談社側が描写の盗用を認め、後の作者自身のコメントでも盗用を認めたようです。


どこまでがパクリでどこまでがリスペクト(インスパイアも可w)なのか。
とある一枚の写真を異なる作者が参考にした場合は。
どの辺りの立ち位置から、真似が許されなくなるのか。などなど。
こんな議論はもう出尽くされてるのでいいんです。パクリスレ見てもいいし、裁判記録見てもいいし、著作権に関する本を見てもいいし。


興味深いのは、ネットの普及による個人の意見の全方位への発信がまさに可能である社会、ってところです。


一昔前は、漫然と「パクリっぽいなー」と思っててもわざわざ編集部に手紙を書くのは極小数だろうし、かと言って友達に話した所で「そうかもねー」で終わってしまっていました。
漫画批評家(プロアマ同人問わず)達が騒いだとしても個体数が知れてますし、社会的にも高い地位ではないので、大きく揺らぐ事はないでしょう。
(いや、こういう方達が騒いで盗用として認められ今回の様な事態になったことがあるのかもしれませんが。言いたい事からずれてしまうのでちょっと割愛)


そもそも、そんな事をする人の数が少ないんですよね。少数の人が「パクリだ」って言ってもそれは間違いの可能性が高い。たまたまの一致という可能性。だって、指摘する人が少数だから。
それに、指摘する対象が直接出版社に向かう為、その情報は横に漏れることが無い。むざむざ出版社側がもらす事も無い。だから賛同者が増えにくい。
ゆらゆらとゆるーく「パクリだなー」と思っている不発弾は沢山いるのに、それに火をつける手段が無かった。唯一ライターを持っていた出版社はもちろん火をつけることは、無い。


そこでインターネッツです。
個人の意見が、今までとは比べ物にならない数の人間に閲覧可能となりました。
さらにネットの中でもより人が集まる場所で頑張れば、さらに多くの人間が個人の意見に耳を貸す事になります。
そして。
意見に耳を貸している人がどれくらいいるのか。それは未知数なのです。
2chのスレへの賛同書き込み数や、賛同するまとめサイトのカウンターという具体的な数字の裏の、所謂「世論」的な存在。
消す事も修正する事もできず、常に万人に見られる位置に置かれた意見陳情書。どれほどの人が見ているのかどれ程の人が賛同しているのか。分からない、見えない。
けれど、そういう意見の流れ、だ。明確に自覚していないけれども、漫然とした一つの方向への意見の流れ、世論。
今までマスコミしか扱い得なかった「世論」の力を個人が扱える時代になったのです。
その力は今回の通り。かなり素早く厳しい対応だと思います。


ネットでは、リアルでのマスコミと同等それ以上の立場のマス存在が数多くあります。
そして、個人がそれを扱える。相応の努力や文章力等が必要ですが、使えると使えないとでは天と地程の差があります。
社会に火を放ち、漠然とした気持ちを燃え上がらせ一大勢力を築き上げることが出来、実際に影響力を与える。
個人で此処まで出来るようになりました。いや、前から出来ていたのですが歴史に名を残すような人物で無い限り無理な事でした。


これは、チャンス、なのでしょうね。
制約無く、個人の意見をかつてない方位に発信することが出来るというのは。
「怖い」なんて思うのは、今までその特権を行使し続けてきたあの辺りだけでしょうね。