生と死

自分が今、こうしてキーボードを打っているという奇跡は、あと何年続くのだろうか。


そんな事を考える日々がわりと続いています。皆さんはお元気ですか。
人を好いたり嫌ったり
自分を好いたり嫌ったり
今を好いたり嫌ったり
過去を好いたり嫌ったり
そんな感情の起伏を表現できる時間が、自分には限られていることに驚く毎日です。
本当に、人には、終わり、というものがあるのでしょうか。


や、まぁ、勿論ありますけれども。


一万円のうちの千五百円を無駄にできないように、一生のうちの二時間はとても貴重なものです。
思い、悩み、惑い、怒り、苦しみ、嘆く、そんな感情は、なかなかどうしてそうそうと表に出しては勿体無いというものですよ。
限られた生の中で、そんなものに囚われていては本当に勿体無い。
もっと考えるべき物があり、もっと思い悩むべき問題があり、もっと俯き歩く道があるはずです。
一時の気の迷い、そこにある黒を白に替えたいオセロのように時間を無駄に使う必要は無いのです。


有限です。人の命は。時間は。言葉は。動作は。表情は。思いは。


そこに居ていいはずの無いものなら、問答無用で容赦なく排除しても社会的に問題でも、自分的にはとても合理的です。
もっともっと、自分という限られた存在が使わなければならない時間、というものがあるはずです。


気にしないでください。
迷わないでください。


その一つ一つが、もっと大事な何かのための1つ1つになっていたのです。
その可能性を忘れずに。
その自分の使い方を忘れずに。
目と耳と鼻と口と、手と指と爪と血を忘れずに。
その一鼓動で動き出していた何かがあったことを忘れずに。