ストロベリーパニック 最終回


認めない。




断じて認めねぇ。
玉青ちゃんの全てを否定し、全てを肯定した、あんな最低なEDなど断じて認めない。
エトワールという枠の中ですら渚砂と寄り添う事の出来なくなった玉青。最後の最後まで渚砂への献身的な愛を貫き通した玉青。
確かに、話の流れからすれば、最終話で玉青という存在意義が象徴的に描かれてしまってもしょうがないのかもしれない。
だが。
だがしかし。
幾らなんでもそりゃないだろう。
玉青ちゃんは、渚砂の為の都合のいい精神安定剤じゃなく、きちんと喜びと悲しみを受ける一人の人間なんですよ。
それが…その扱いがあまりにぞんざい。
「二人」というキーワードをあれ程強調していたエトワール選は、いったいなんだったのか。
エトワール選に出て、そして一人になってしまった玉青ちゃんのどこに、救いがあるのか。…もう投げっぱなしじゃん。


どう考えても身を引くのは静馬だったし、彼女がどれほどの決意を持って会場に乱入したとしても滑稽にしか映りません。
周りの事を顧みない一途な思いがそんなに素晴らしいものですかね。
もっと、より深くより自愛に満ちた愛がそこにあるというのに、そちらにはスポットライトが当てられず終わってしまいました。
ダイヤモンドとルビーよりもアクアマリンですよ。
深く蒼を湛える輝きが、他の明るい光にかき消されて良いわけがありません。


最後の最後の


     「おかえりなさい…渚砂ちゃん」


あの、扉越しの言葉は、正直辛すぎて…だからこそ放映直後こうしてブログを書いているわけですが…。
一方はエトワール選の美しい赤のドレス、もう一方はミヤトルの制服。
一方は二人、もう一方は一人。
得た者と、失った者。
それでも「おかえりなさい」と言葉を振り絞った玉青ちゃんには、言葉がありませんでした。


あー


くやしい